p.6

アイスブルーの空の下。
波に逆らってはしゃぐ女神、砂浜で突っ立っているオレ。
とても対照的な光景だがはっきり言っておく……これは真冬の風景だ。
世界は至って平常、オレも平常。異常なのはあいつだけ。きゃあ、とはしゃぐ声と波の音が交互に響いていた……。

―第6話―

何もせず突っ立っているので海風が当たってひたすら寒い。
冷めた目で眺めているのも飽きたしなあ……。
そう思い、来た道を戻ろうと後ろを振り向いた。

「せ っ か く 来 た の よ?」

が、風の子様にフードを引っ張られて見事に阻止された。
一瞬だったが何つー威圧感だ。

「いや、この寒さじゃ…なあ…」
「そう?こんなに水が気持ちいいのに。手、出してみて」

そう言われてしぶしぶ手を差し出した。
女神はふふっと笑って、オレの手の上に海水をかける。
うん、寒い!無理!!
想像通りの冷たさに、引っ込めた手がじんじん痛む。
はあ~!なんでこれが平気なんだ!?
“バカは風邪を引かない”とよく聞くが、天使は寒さすら知らないのか!全く!!
寒さで思考も凍り固まってしまったオレは、半場やけくそに手を振り払った。

「無理!無理だ!オレはいい!!」
「何よー。楽しもうって気持ちはないわけ」

口を曲げてムッとしたバカ天使は、オレの肩を掴むとぐいぐいと引き寄せ、
強制的に寒中海遊びに付き合わせようとする。

「若いのに遠慮しない!さ、こっちへ、いらっしゃ、い!」
「ケッコー、だ!つーか、年は同じくらいじゃ…わあっ!」

大きな音を立てて水しぶきが上がり、軽快な笑い声が響いた。

帰る道中、先程の二人の子供に会った。
手にはシャベルが握られていて、砂の山の根元にトンネルを作っているのだろうか。
ずぶ濡れのオレに気付いて、女の子が声をかけてきた。

「おねーさんはー?」
「……ん」

ぐったりした素振りで目を見やった先、オレの後ろからるんるん口ずさみながら近づいてくる女神が見えた。

「おねーさんたのしそー。うみ、あそべてよかったね♪」

女の子はふわりと笑顔を見せたが、砂の山の影から顔を覗かせた男の子は、
ああ…そういう反応をするんじゃない…。

「……しろのにーちゃん。ドンマイ」

憐みの表情でそう呟いた。
分かった。分かったからそんな目でオレを見るな。
はあとため息を付いてから、砂の山と二人の子供を後にした。

ムダな抵抗だと知ってはいたが、早歩きで進んでいた。
砂の山を通り越し、思った通り駆け寄ってきた女神に声を投げやった。

「次はもう行かないからな」
「どうして?楽しかったじゃない」
「ふざけんじゃねえ…お前に付き合ってたら身も心も凍え死ぬ…」

「オレはただの人間なんだぞ。お前とは、違う」

そう悪態を付きつつ、オレはまた、女神が「来て」と言い出したら嫌々付いていくのだろう。
どこへでも、どこまでも、ご近所の海辺から、果てしない空の彼方へも。
そんな自分達の未来を想像して、小さく笑った。

何を言っているのよ、それくらい出来なきゃ困るわ。
無茶苦茶な要求が帰ってきそうだと期待して言ったのだが。

「…そっか」

返ってきたのは今まで感じたことのない、冷たい声。

「そうよね。そう…」

「一人でも十分よ」

消え入りそうなほど微かに発せられた言葉。

そこでようやく女神の異変に気付いた。
慌てて振り返って手を伸ばしたが、遅かった。

風の音と共に、女神はオレの前から消えてしまった。

女神は、きっとオレにも海を楽しんでもらいたかったのだろう。
寒さで海水や潮風に耐えられなかったとはいえ…
いやでもなあ、帰り際の女神は楽しそうだったし。

と、部屋に戻ってから、ぶつぶつと一人悩んでいた。
しかし、空に異常気象が出てしまったのもあり、復旧作業に追われて部屋から出られなくなってしまった。

それから数日……。
女神が部屋に押しかけてくることはなかった。

今までが騒がしかったんだ。そんなの知ってる。知ってるけど。
静かすぎる部屋が落ち着かない。

新鮮な空気を流し込もうと、締めっぱなしだった窓を開け放つ。
久々の日の光に目がくらみ、カーテンを閉めたが、
今日は風が無いのか布切れは微動だに動かない。
息が詰まりそうな感覚を覚えて立ち上がったオレは、
外が見えるよう全開にしてからソファーに座り直した。

やっぱり、あの時オレが余計な発言をしたからだ…。
それで、女神のかんに触ってしまったのだろう。
でも何でだ。あのくらいの悪態、普段からよく付くし、んん…?
結局何が原因だったのか分からない…。
確かめようにも女神の居場所なんて知らないし……。

すっかり元通りになったいつもの平穏そうな青空が覗かせて。

「どこにいるんだよ……」

そう、情けなく呟くしかなかった。

こん、こん。

ドアを叩く音が聞こえる。
来客?こんな時間に…と思ったが、日が暮れた後。
オレはどうやら眠っていたらしい。
暗がりの中、よろよろと立ち上がり、ドアノブをひねった。

「随分しょげた顔をしているわね」

そこにいたのは、いつものワンピース姿のあいつだった。

「め、女神…」
「久しぶり。けほっ」

あれ、今咳き込んだ……?
疑問を問うよりも、オレの表情を察したらしい女神の口が開くほうが早かった。

「あの後、別の場所で遊んでいたのだけれど熱が出て。ちょっと寝込んでた」
「……バカ天使も風邪引くんだな」

つい、呆れて本音が出た。
そりゃあ、あれだけはしゃいだら体を冷やすのも当たり前だし、さらに遊んでいたというならなおさらだが。
常識知らずで無茶苦茶なこいつが、
普通に風邪を引いたとは思ってもいなくて。
…しまった。そこまで考えてから、
二度目の失言をしてしまっていたことに気付いた。
「あ…」とばつが悪そうに声を漏らしたオレをじっと見る女神。
やばい。やばいぞ。これはごまかせない…。

「もしかして気にしてくれた?」
「……えっ?ああ。そりゃ、そうだろ」
「あなたでも心配、するんだ」

何故か、こいつも意外そうな顔を見せた。
って、お前にはオレが心の冷たいやつに見えるのか?
心配していたと気付かれたくなくて、でも心配で。
それでも本音を言いたくないオレは苦し紛れの嘘を付いた。

「無理すんなよ。今日は帰ったらどうだ」
「あら、それは『早く休んだ方がいい』っていう愛情の裏返し?」
「…勝手に人の心を読まないでください」
「せっかくだからいさせてよ」

そう強引に言って、ソファーに座る。
手元に置いてあったブランケットを羽織り、
隣に腰かけたオレまで巻き込んでくるまった。
それ、今朝オレが使ってたやつなんだが。

「何すんだよ……」
「ふふっ。しろくんの匂いがする……」
「……」

……勝手なやつ。
そう言いたくなったけれど、もう必要ないなと思ってやめた。

「一人だからってどうってことないけれど」
「二人だからあったかい」

不思議なくらい気持ちがあったかくて落ち着く。
まるで、ずっと昔からこうしていたような……気がしてしまう。
……オレに記憶なんてないのに。
どうして、そう思ってしまったのだろう?

「冬が終わったら…また、行こうね」

寒空の下、小さな部屋に灯した明かりが窓から漏れる。
二人は肩を寄せ合い、少年は再び眠りについていた。