7* 保健室

昼休みに入ってすぐ。
どこから聞こえてくるのか、教室内にアナウンスの音楽が流れる。
チャイムも鳴らないこの学校にも、こんなハイテクなものがあったのか?
ひとまずの役目を終えた机の上の教科書を片付ける手を止め、その珍しい機械的な放送に聞き入っていた。

「生徒の呼び出しです。3年K組、佐々浦秋良さん。至急保健室へ来て下さい」

アナウンスが終わるやいなや、ジロリと教室にいる生徒達の視線が一斉に僕に向けられる。
白紙に覆われた表情の分からないクラスメイト達の視線は、別段痛くもない。
が、その時ばかりは、四方八方から貼り付けられるようなきつい視線で貫かれる、錯覚がした。
実際に痛め付けられているわけではないのに。
この嫌な感覚は何なのだろう。

呼び出された手前、無視するわけにもいかない。巡る思考を追いやり、早々と席を立った。

 

 

 

保健室に赴き、体熱を測られ、触診される。
疑問に思いながらも、保健室担当の職員を見やるとペンを構え、質問の体勢に入っていた。
触診の後は問診か。
予想通り、自覚症状の有無を問われ、淡々と答えていく。

「結果、異常無し。どこを見ても健康体で実にいい」
「ありがとうございます」
「実にいい…。が。おかしい」
「何がおかしいのですか?」
「ああ……」

ぶつぶつと思考にふける職員を、ぼんやり眺めていた。
そもそも、どこにも異常はない、健康体だと言われたのに、何故まだ僕はこの場所に貼り付けられているのだろう。
知らず知らずのうちに、簡易の診察、つまり、見かけでは判断しかねるような面倒な病気にでも患ってしまったのだろうか…。
手持ちぶさたで、自分の事に関して思考を巡らせていたために――油断していた。

「君。自分で悪いと自覚している箇所は、ある?」

唐突な質問に、体が固まった。

「…はい?」

努めて平然に答える。
今のは偶然だ。こちらの思考を読まれたわけではない。
しかし、その曖昧な質問の一部分にひっかかり、僅かだが声色が反応してしまった。
ぴくり、と職員の体も動き、追従してくる。

「今の君の体には見られないが」
「今ではない君の……うん。そうだ。過去の君には、何かあったんじゃない?」
「……」
「たまにいるんだ、そういう生徒が。そんな問題児に限って、前世がどうとか、今の自分には関係のない事だとか、言い訳をし始めるのだが」
「……」
「返事がない。何か、思うところがあるのか」
「……いえ」

「ふむ。もう少し明確に表す必要がある」

カリカリとペンで書き立てていく。伏せ目がちになった職員は、早いとものろいとも思うような速度で声を発した。

 

 

 

「質問形式にしよう。これはあくまでも例え話だが……思い当たる事があれば、素直に「はい」と肯定して欲しい」

「その1。自分に悪いところがあるのに、それを他人に擦り付けて揉み消した」
「……」
「その2。他人に助けを求められても、感謝をされても、何も出来ず、ただただ見殺しにした」
「……」
「その3。ふむ、これは現在も患っている事か」

「その身に、叶わぬ欲望の渦を抱えたまま生き長らえている…」

「な…ぜ……」

ニヤリ、と顔が笑う。
射抜かれ、体が、思考が、全てが固まってしまい、動けない。

ぐい、と顎を強く掴まれた僕は、抵抗も出来なかった。
近付けられた顔を見てしまい。思わず呼吸を止める。

「分かるのだよ。目を見れば、ね」

いつだったかの、幼い記憶が、よみがえってしまった。
恐ろしいほど、鮮明に、その光景が目の前に写っている。
首を、絞めつけられる感覚に、襲われる。

「人間、どんな顔をしているか、自分では分からないものだ。未練たらたら且つのうのうと息をし続けている憐れな君のためにも、言って差し上げようか?」

あまりの息苦しさに、震えた唇が。

「は………」

肯定の息を漏らしかけた。

「……結構、で…す」

無理矢理飲み込んだ僕をいちべつして、ひらりと手を離した。

「そのようだ。物分かりはいい、さすが生徒会長だ」

(自覚症状有リ。原因不明。)
(必要ニ応ジ、カウンセリングヲ行イ、対処スル。定期的二呼ビ出スノデ、生徒ハ従ウヨウニ。担当教員ニハ、生徒ガ優秀ナ成績ノ為考慮スルヨウ此方カラ伝エテオク。)

そう書かれた1枚の紙を手渡した。

「診察終了。私は用があるので退室させてもらう」

「……………っ」

うずくまる僕をよそに、職員は診察器具を片付け、保健室を出ていってしまう。

頭を抱え、必死に思考を止めようとした。
けれど、けれど、溢れてくる想いは、

罪の意識と、深い後悔。

時計を見ている余裕などなかった。
休み時間はとうの昔に終わり、午後の授業が始まる時刻を過ぎていた。
こんな事をしていてはだめだ。
……戻ろう。

おぼつかない足で、教室を目指し、廊下をさ迷う。
あんな惨劇の後だが、何とか歩けてはいる。

しかし、脳内に渦巻く想いは、消えない。
ハル君に、会って、顔を見たい。

そう無意識に彼を求めたが、今この場所には、彼は、いない。
もうしばらくの間辛抱して、苦しい授業を受け続けるしかないことは――分かっていた。
これは、罰なのだ。

 

 

 

教室にたどり着き、後方のドアの窪みに手をかけ、引いた。
その物音に生徒先生一同が振り返る。

まただ。
表情のない貼り付けられるような視線が、痛いほど僕を貫く。
避けることも出来ず、見られるがままに教室内を横断し、自分が座るべき席に着いた。

授業は何事もなく再開し、つまらないほど淡々と進んでいく。

過去の自分の、いや、過去からこれまでの自分の行いは。
いつ、誰かに責め立てられてもおかしくはなかった。
誰かを助ける為だと言い訳にして他を押さえつけ、悪事を企て、僕は実行した。
それは確かなのだ。
誰もが忘れようと、事実は、無くならない。
結果がどうのこうのというのも、罪を逃れる言い訳として成り立たない。
僕の命は、誰が言い出したとしても、過去の行いの真偽を問われれば、誰よりも重く、厳しく、裁かれる定めにある。
今になってでも、これくらいの仕打ちを受ける事は、当然の事だと、白状する事が出来なかったために先程までの出来事を、心の内で肯定していた。
だから、こんな程度の償いで許されると、思わなかったし。
完全に救済されるとも、思えなかった。
何と醜い事だろうか。
身に足りない罰を追い求め、さ迷い果てた先に、僕は……。

(教室の窓の外を見やる)

淡い光を、求めてしまうのだ。