真っ暗で恐ろしい雨風が家中の壁や窓をガタガタと言わせている夜。
傾いたお昼時のようなぴかぴかのイエローの照明に照らされる部屋の中で、頭のネジを威勢よく巻いた直人は早速人形のお直しに取り掛かった。
乱雑に積まれた工具やガラクタに囲まれて、あーだこうだとぶつくさ言いながらテキパキと工程を進めていく直人の横で、Gateはたどたどしい手付きで靴の縫い糸をほどいたり衣装の型紙を取ったりというような簡単な作業をして、何とかお直しの役に立つ事が出来た。
しくしく。
雨風の音が激しさを増し、夜が深けた頃。
やっとの事で1体仕上がったが、疲れ果てたGateはいつの間にか居眠りしてしまった。
机で寝てしまったGateの肩に掛物を用意した直人。
部屋の隅に座り、直しの一部始終を見ていた死神が声を漏らした。
「ソれ程の腕利キ、余所へ行ケバヨリ存分に振エるダロうに」
「ふん。余所様が分かるものか」
「在るベキ形(ヒト)ニ戻る前ニ此処デ朽ち果テル気か」
「ああそうだよ」
「それより…。」
直人が顔だけを死神の方へ向けた。死神は、懐から針金のようなごわごわとした輪郭を形どった懐中時計を取り出して答えた。
「問題ナい。アト少しノ刻クラいハ持ツ……」
「この場所(セカイ)で霧散されると迷惑だ。用が終わったらさっさと出てってくれ」
「アア…」
そうして、夜の終わりが近づいた頃。
全てのお直しが終わった。
直人は深く眠りに落ちたGateをそのままに、白い月明りの外へと死神を促し、廊下を歩く。
遠くで扉が開く音で目が覚めたGateは、飛び起きて玄関の方へと向かった。
玄関の内側にはたった今扉を閉めてUターンをして来た直人が立っており、安堵した声で「直人さん」と発したと同時に、外から響いた大きな衝撃波がGateの全身を振るわせた。
慌てて扉を開けてGateが外に出ると。そこいたのは、重たいケースを携えもう一方で石畳に手をつく死神と、白い布を纏い宙に浮く、あの幽霊だった。
「幽霊…さん!?どうして…っ!」
見知った姿の白い布はGateの方を見向きもせず、姿勢を立て直して一直線に向かって飛ぶ。
対してじっと機を伺うように手を付いたままだった死神はギリギリの所で立ち上がり、軽い足取りでその猛攻をのらりくらりとかわしていく。あまりにも早くて、Gateは風に舞う白い布が黒い布を追いかけているように見えた。
しくしくしく。
同じような攻防を繰り返した後。Gateは、何かが、はっきりと聞こえたのを感じた。
白い布は隙間から…、いや、何もない所から、スッと現した真っ白な長い刃を振りかざした。
キン、と清々しいほど響き渡った数多の風音が、霞声をかき消し、放たれた白い斬撃のひとつが黒い胴体を掠めた。僅かな隙が生まれ、白い刃が急接近した。その時だった。
「やめてください……!」
「………」
「……直ス屋…」
白と黒の布の間に腕を広げて震えるGate。死神に当たるはずだったトドメの斬撃は、その体に吸い寄せられ、Gateの周りを漂い形成していた石の輪の中へ全て吸収してしまった。
その場の全員が立ち止まり、Gateを見る。Gateが、そっと目を閉じて胸に手を当てると……。
しくしく。しくしく。
どこからともなく、聞こえてくる。悲しみに染まった女の子の声。
しくしく。しくしくしく。
Gateは、顔を歪めて言った。
「二人がどうして争っているのか、私には分かりません。それでも、二人が争うほどに、この声が、悲しい声が聞こえて来るのです……。」
「「…………」」
ピタリと動きを止めた幽霊の顔は白い布に覆われ分からなかったが。死神は、今にも崩れ落ちそうなほど、やるせない表情をしていた。
「……」
「誰かが、呼んでいる。私は入口そのものなので、どうすることもできなくて……」
「……」
死神は、握っていたケースの取っ手を握り直し、改めてGateに向き直った。
「死神ノ、薄暗い話ニ。もうシバらく付き合っテクレル気はアルカね」
「もちろん」
「……やハリ、君に頼めて本当に良かった」
黒い布の死神は、Gateごと吸い込まれて居なくなった。
「こりゃやられた」
「……」
玄関に突っ立ったままだった直人はガシガシと頭を掻いて、遠くを見つめた。
「何でも直す屋は、物を直して終わりじゃない。直した物を受け取ったお客の、満足して帰る姿を見届けるまでが、私達の仕事」
「それを。忘れていたとはなぁ……」
「……」
真っ暗だった街並みは、少しずつ夜明けの薄白い明かりを映し出していく。
幽霊は、直人の言葉に頷くように少しだけうなだれて、ふわっ、と浮かび上がって、姿を消した。
ー
(しくしく。しくしく。)
世界の狭間。
飛び散ったレンガの破片や街灯をくぐると。
物陰に座っている腕の無い女の子が、下を向いて泣いていた。
(しくしく。しくしく。)
シャラララララ…。
星屑が流れるような綺麗な音を立てて、死神は女の子の前に人形を露わにした。
2体の人形はお行儀よくお辞儀をして、女の子を見た。
女の子は、生まれて初めて心を奪われたように見つめている。
ゆらり、ゆらりと踊る人形の動きに合わせて頭が揺れ動く。
(あ…)
ふいに離れていこうとするその体に、今まで形にならなかった手を(作り出して)、体を、全てを伸ばした。
しかし、人形に触れた途端、女の子の手からガラスが小さく弾けるような音がして、身を竦めた。
(だめ……また…終わってしまう!)
大きな潤んだ水玉が暗闇に散っていく。
目を開いた時には、黒い人影はほんの一瞬の間に女の子を包むように支え、今まで存在しなかったはずの風が衣装をなびかせて……踊っていた。
(あ……あ……!)
「お嬢様。お気に召して頂き光栄にございます」
(……ずっと”触れない”と決めていたのに)
まだ力のこもっていた手を、大きな手でしっかりと取った。
(……運命の王子様)
そう、呟いた赤い顔を見て、目を細めた。
「それでは。今宵、最期のパレード、私(わたくし)と共に」
「どうぞお楽しみくださいませ」
暗闇に輝く星屑の舞踏会が始まった。
ゆっくりと踊りながら、欠けながら、昇っていくそれらと共に。
くしゃくしゃの笑顔が弾けて、消滅していった。