(ユサ 視点のみ)
***
就寝前に屋敷内の見回りをしていた時でした。
廊下の一角の灯りがちらちらと揺れて明暗を繰り返していました。
燭台に不備があったのかと近づき、ふと見上げて気付きました。
そこは秋良様のお部屋でした。そこは、私とレイカさん(そして、ここにはいませんが他の従者の方々にも)
絶対に入らないようにと言われている部屋です。私は、思い直して燭台に振り返ろうとし、声をかけられました。
「ユサちゃん……?」
扉の向こうから聞こえてきました。まさしく、秋良様の声でした。
「はい、ユサです。…どうなされましたか」
勤めて平常通りに声を落ち着かせて、返事をいたしました。お姿の見えない秋良様の声だけが、こちらに返ってきます。
「呼び止めてすまない。君に頼みたい事があるんだ」
(ユサの横顔)
「服のボタンを、外してくれないかな」
何故そのような事をおっしゃられたのか。意図は分かりません。
私は一瞬ぼうっとしてしまい…。
「はいっ」
すぐに気を持ち直し、扉を押し開けました。
そこは、見慣れないお部屋でした。
当然ですが、私やレイカさんの従者部屋、涼春さん達がお使いになっている客室よりも広いお部屋です。
灯りはサイドテーブルの上に置かれた蝋燭だけです。暗がりの中、寝具に腰掛ける秋良様のシルエットが薄黒く見えました。
秋良様は、近づいた私を見て、口をつぐんだまま佇んでおられました。
少し屈んだ私は「失礼いたします」と断りを入れ、前立ての最上部を摘み、一番上のボタンからひとつずつ外していきました。
秋良様は、こういった身の周り、特にお体のお世話をお頼みになった事が全くないのです。
こんなにも、お互いの表情が見えるほど距離が近い事も。
心をくすぐられるような、何ともいえない不思議な感覚を覚えていました。
手が震える事はありませんでしたが、上手に動揺を隠せていた自信はありませんでした。
ひとまず一番下のボタンまで外し終えましたが、その…隙間からのぞく肉体が雄々しく見えてしまって。
レイカさんならこんな時、私や秋良様を騒ぎ立てるのでしょうが…。
私は未熟者なので、そのような事はよく分からないのです。
いたたまれなさに視線を逸らすと、それが目に映りました。
「…あっ。袖が」
汚れていますね。そう、声に出そうとして、腕をお引きになられた秋良様。
…?私、いま。
「ご安心ください。替えのお洋服もお持ちしますので」
拒絶された…?しかし、秋良様は私の声を聞いて、手をゆっくりと、私の目前に戻されました。
表へお返しになられた手首に触れないようそっと布を摘み、袖口のボタンを外しました。
「…………秋良…さ…ま…」
たしかに、袖口の汚れはお飲み物のこぼれた跡だったのですが…。
見張った目を外せない私は、すかさず秋良様にたぐり寄せられていました。
ひくり、と震えた肩に這う手と、下顎から頬へと撫でるもう片方の、”焼け跡のような黒い指先”が私を掻き立てて。
「部屋から出るまで、口は、開けないで。誰にも言わないと、誓って」
じっとりと感じるほどに、長い時間、そうしていました。
ザラリとした指先はあと少しというところで、私の唇に触れる前に離れていきました。
少し間を開けた後、まだボタンが付いたままの手をお見せになられました。
秋良様が、どんなお気持ちを抱えているのか、暗がりに映るお顔からはよく分かりませんでした。
有無を言わさない堅い意志のみは、いつもよりも強く理解できて…。
無言で袖口のボタンも外し終えると、やはり秋良様は先ほどのように口をつぐんでいました。
何も、言わないのです。普段なら、次のお言葉が出てくるはずなのに。
この部屋に満たされた恐ろしい静寂が、私が扉から出るまで、見張っているようでもありました。
「…おやすみなさい」
返事のないそれに安堵できないまま、私は、静かに扉を閉めるしかありませんでした。
***
朝。寝室の扉を開ける秋良。
廊下に出ると、ユサが立っていて。
「おはようございます。…これを、」
「…うん?プレゼント、かい?」
「はい」
「ご迷惑でなければ、よろしいのですが」
薄茶色の紙の包みを開け、中から取り出したものに驚く秋良。
「変じゃ、ないかな」
黒い手袋を嵌めた姿を見せる。
「お似合いですよ」