2* 3年K組

 

菓子を食べたような、甘ったるい感覚。
暖かな日差しに包まれ、気分はまんざらでもない。
夢のような跡に残るのは。
虚像。

目が覚めた時には知らない部屋にいた。
誰もいない密室は、壁も天井も窓の外も白くて、同じ形の木の板と鉄を打ち付けた机と椅子で埋め尽くされていた。なんだか居心地が悪かった。

シンと静まり返っていた教室だったが、壁に掛けられた時計が8の字に差し掛かるとガラリと扉が開き、人々が入って来る。
皆、自分と同じ機関の服を身に纏い(女子はスカートであったが)、どの人物も同様に、顔に白紙を貼り付けている。一人目が入ってきた時は凝視してしまったが、二人、三人と続けて入って来た同じ顔の人物達を見て、視界から外した。

部屋の座席が満員になった頃。
やはり白紙を貼り付けた中年の男性が入ってきた。
名前を呼ばれ、全員の安否を確認すると出て行く、教師と名乗った担当の人物。
代わりに入ってきたのは先ほどと見た目の変わらぬ別の教師。
そして、「授業」が始まった。

この世界での一般常識は知らないはずなのだが、問われるたびに答えがスラスラと出てくる。
他の人物が返答に迷いつっかえるような箇所も、だ。
教師は感心して「さすが生徒会長だ」と言い、クラスメイトは「エリートだ」と褒める。

この世界にいた佐ヶ浦秋良は、飛び抜けて優秀な人物だったことが伺えた。
そして、その優秀さは今の自分にもピッタリと当てはまっているようだった。
そのためか、佐ヶ浦秋良の中身が変わった事を誰も疑わない。言ったところで大差はないし、信じてもらえないような気もするので、このまま佐ヶ浦秋良として過ごした方が良さそうだと思えた。
そう思うと、心が自信のようなものに満たされた。
授業終了までの間は概ね順調に思えたが、喉に妙な感覚がつっかえていた。

 

 

 

「昼休み」になり、僕は教室から出た。
扉の横に書かれている「3年K組」という文字が目に映る。

昨日、ハル君は自己紹介の際に自身の所属を「2年K組」だと言っていたか。
ハル君を探しに行くならば、下の階に行くべきか?
(昨日の下校時に、階層ごとに部屋の割り振りが分かれているとこは把握済みだった。
彼も、別の教室で授業を受けているのだろう。)
しかし、探しに行くといっても注目を浴びる存在であるから、考えなしに出歩けば目立つ恐れもあるのか…。
情報が少ない今、派手に動きたくはない。
なるだけ影に隠れて様子を見るべきだ。
そう考えあぐねていると「こっちこっち」と、視界の端の壁際から聞こえる声につられた。
その顔に白紙は無く、見慣れた笑顔があった。

「佐ヶ浦先輩、もしかしてオレを探しに行こうとしてました?」
「よく分かったね」
「いっつもそうですもん。オレから行きますから待っててください、って言ってるのに!」

(人気のない渡り廊下をつたって、校舎の中庭へと抜けた。)

この世界の佐々浦秋良とハル君は、日頃から会話をする仲らしい。
身分の差があるのにここまで親しげに話している事に驚きを覚えた。それとなしに聞いてみると
「学年、ですよ?先輩とは、入学時からの付き合いですけど、とても良くしてもらってるな、って思ってます」とにこりと笑い、伝えてくれた。なるほど、随分と仲がいいようだ。嬉しそうなハル君の様子からも、日頃から可愛がっていた事は容易に理解できた。

(中庭のベンチに座る。)

会話は昨日の下校時の出来事へと移っていく。
帰りに寄り道すると言っていたケーキ屋の事だろうか。どうにも、薄ぼんやりと記憶はあるのだが、はっきりと行ったという感覚が無い。夢の中の出来事であったような曖昧さが後を引いていた。

「…あの?そういえばお昼ご飯は」
「……ん?そういえば用意していなかったね」
「そういえば、じゃないでしょう。最近の先輩、抜けてますねぇ?頭の回転だって悪くなりますし、昼食抜いちゃダメですよ?」
「ごめんね。ええと…」
「まさか、お金。忘れちゃいました?」
「……そのようだね」
「…オレ!何か買ってきますっ!」

血相を変えて飛び出していったハル君の背中を眺めていた。
彼はこんなに尽くす人間だったか?
いや。そうであった気もするのだが、その想いが自分に向けられているという事がいたたまれなく、くすぐったい。

「こんなのしかなかったんですけど…すみません、先輩」

「購買、もう終わりかけだったので」と少ししょげた顔をしながら、買ってきた菓子パンを手渡してくれた。

「いいんだよ。わざわざ僕のために走って行ってくれたんだ」
「…えへへ。お腹空かせたままの先輩は可哀想ですもん」

やはり、ハル君は優しい子だ。
何も分からない状況の中とはいえ、助けてられてしまった。
これではどちらが先輩なのだか分からない。
先ほどの笑顔を見ていると懐かしいような、新鮮なような、不思議な気持ちに浸された。

午後の授業が終わり、放課後。
気がついた時には、生徒会室を出て行く他の会員である生徒を見送っていた。
最後の一人が出て行って、しばらくして。
ハル君がドアをノックして入室した。
昨日の僕はここで寝ていたから、心配して呼びに来てくれたのだろうか。
聞いてみると「それもありますけど、いつもこうやってお迎えに来てますし?」と首をかしげる。
ハル君につられて、生徒会室を退室する。
僕とハル君は、帰り道を共にするのが恒例になっているらしかった。

「今度、ご馳走しようか。僕の出来る範囲のものになってしまうけれど」
「え、いいんですか?」
「たまには先輩らしくしなければ、と思ってね」
「じゃあお言葉に甘えて…楽しみにしておきます!」
「うん。何がいいかな。ハル君はたしか、甘い物が好きだったね」

そう問いかけながら、傾きかけた陽の中を歩く。
夢見心地のまま、会話は続き。
校門をくぐった。

そこでその日の記憶は、途絶えた。