白紙の生徒先生が校内を行き交う昼休み。僕は彼を迎えに2年K組、ハル君の教室へと向かった。
もちろん、昼御飯を共にするためだが…。
驚くべきことに、今日は所持していたバッグの中に、食料が入っていたのだ。
色とりどりの食料が詰め込まれた容器、その蓋には「お弁当!!作ってあげたんだから、ちゃんと食べてよね!!!」と丸みを帯びた文字で綴られた文まで添えてあった。
自ら用意した覚えはない。可愛らしい桃色の包みや文面からもハル君が用意したものでも無さそうだが…一体誰が…。数少ない知り合いの中から該当しうる人物はいるだろうかと、思案していたその時だった。
細長い廊下に立つ僕のすぐ側を、白紙を貼り付けていない生徒が駆け抜ける。
もの珍しさから、目で追った。
整った顔立ちに吊り上がった目、たなびく長い髪。
脳内に浮かんだ記憶とその顔が合致した。
遠く後方からバタバタと反響する複数の足音。白紙を張り付けた先生とおぼしき群衆が走ってくる姿が見えた。その剣幕に一瞬躊躇してしまったが、我に返って足を踏み出した。
「君!待ってくれないか!」
早歩きで追いかけ始めたが、相手は全力で廊下を駆けているためか、まるで追い付かない。
階段を降りては駆け上がり、降りては駆け上がりを繰り返している間に、今は封鎖されている屋上に続く踊場へと飛び出した。狭く薄暗い踊場だったために僕は勢い余って突き進み、バン!と壁に手を突いた。結果、立ち止まっていた彼女を自身の体と壁で挟み込む体制になってしまった。
不自然な状況の中、上がった息を整えるためにほんの数秒が経った。ようやく交錯した目には、双方とも驚きの表情が映っていた。
「だっ、誰かと思えば…生徒会長じゃない!」
「君……君は!女神…だろう!?」
「えっ……!?」
第一声を放った人物は、さらに驚きの声をあげた。
「あらやだ!お嬢様やら姫やらともてはやされた事はあったけど、女神だなんて!」
腕の下で頬を押さえる女子生徒。見た目は普通の少女のようだった。普通の…?記憶の中のそれとは随分と違う印象を受けた。正気に戻った女子生徒はわざとらしく咳払いをして、こちらを見上げるように睨み付ける。
「でっ、こんなところに押し込んでナンパのつもりなの?」
「随分と気味の悪い冗談だな…」
「じゃ、なによ」
「…これは何かの夢か?何故、僕達は学校に通っていることになっているんだ?」
抱えていた疑問、置かれている現状をやっと口から出した。
きっと、君なら分かるだろう。もしくは、この不可思議な夢さえ君が作ったと豪語するのだろう。
切迫した空気が辺りを満たしていく。沈黙。
「言っている意味が分からないわ」
彼女は怪訝な顔で、言葉を放り投げた。
「あなたにはあなたの、私には私の。入学した目的があるんでしょ」
入学した目的…?僕の?
「あとね、一緒にしないでくれる?」
「私は、ここを出られさえすればいいのよ。あなたみたいな有名人と色恋沙汰扱いされるのも、こんなところで時間を潰して説教に巻き込まれるのも御免なのよ、」
「ねっ!」
女子生徒がそう言い終わるや否や、突然腹に強烈な痛みが走った。さらに足を思い切り踏みつけられ、手に持っていた布に包まれた弁当箱が落下しごろりと転がる。連撃を繰り出しするりと抜けた彼女は、うずくまる僕を振り返りもせず、軽々と階段を飛び降りて逃げてしまった。
彼女が去ってしばらく経ったが痛みが引かず、仕方なくおぼつかない足取りで階段を降り始めた。
手すりに捕まりながら一段一段降りるそれは生まれたての動物のようというか、老人のようというか、とにかく情けない様子だった。
「先輩っ…!?」
声の方を見下ろすと、ひどく心配した見慣れた顔があった。大丈夫、と漏らすような声で返事をしつつ階段を降りることに専念しようとしたが、かえってハル君を心配させてしまったようだった。
「大丈夫じゃないでしょう!?誰にやられたんですか!?早く保健室に連れていかないと…」
「…それより、……あの、女子生徒は……」
既に顔に思い切り態度が出ている。痛みに耐えながら彼女の容姿の詳細を説明する手間が省けたのは幸いだったが、ハル君は珍しく低い声を発して。
「あいつですか……オレ、直接文句言ってきますよ」
と、何か薄暗いもやが出て来そうな雰囲気を纏って階段の先を凝視していた。
「そうじゃない。彼女は……一体……」
「噂なんですけど、ここの学校の理事長の娘とか……ってだけで、授業は抜け出すし態度は悪いしで、ただの不良ですよ……」
「…」
「先輩、本当に大丈夫ですか?痛み、続くようなら後からでも見てもらってください」
弁当を拾って脇に抱え、もう片方の手で僕の腕を支えて歩くハル君は、未だ機嫌の悪そうな顔でそう紹介をしてくれた。
いかにも彼女らしい様子が伺えるのだが…。当の彼女からは「意味が分からない」と突き放された挙句、逆にこの場所にいる意義を問いただされてしまった。
目的…と言われても……。手の施しようがない鈍い痛みを気にしながら、教室の立ち並ぶ階へと向かった。
途中の階まででいいと言ったのに強く反論して上の階まで付き添ってくれたハル君と別れ、自身の教室へと続く廊下を歩こうとしたときだった。
どこからともなく現れた、白紙を張り付けた教師数名に取り囲まれた。
何事だ。ずっと床に落としていた目線をゆっくりと持ち上げた僕は、腕の腕章を見てはっとした。
(“生徒指導”……)
「来い」
近づいてくる人物達を見て、再び視線を床に落とした。腕を掴まれ、半分抱えられるようにして連れていかれる。
痛みでぼんやりとしていたからか、明らかに校則違反をした事を自覚していたからか、反抗する気力は失せていた。